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東京高等裁判所 昭和50年(う)1437号 判決

本店所在地

新潟県新潟市花園一丁目二番五号

有限会社ニューヒノマル

右代表者代表取締役

内山千代蔵

本籍

同市沼垂東四丁目七七七番地二

住居

同市東大通二丁目三番一五号

職業

会社役員 内山千代蔵

明治四三年一〇月一七日

右の者らに対する法人税法違反被告事件について、昭和五〇年三月二六日新潟地方裁判所が言渡した有罪判決に対し、弁護人からそれぞれ適法な控訴の申立があったので、当裁判所は、検察官河野博出席のうえ審理をして、次のとおり判決する。

主文

本件各控訴を棄却する。

理由

本件各控訴の趣意は、弁護人関根達夫、同伴昭彦、同原和弘共同作成名義の控訴趣意書、同補充書に記載されているとおりであるから、これを引用し、これに対し、当裁判所は、記録を調査し、当審における事実取調の結果を併せて検討して、次のとおり判断する。

一、 控訴趣意第一点(事実誤認の論旨)について

所論は、要するに、被告人有限会社ニューヒノマル(以下被告会社という。)の本件起訴にかかる昭和四一年七月一日から昭和四二年六月三〇日まで、及び、昭和四二年七月一日から昭和四三年六月三〇日までの各事業年度(以下前者を起訴第一年度、後者を同第二年度と略称する。)における脱漏所得金額は、起訴第一年度にあっては、二、〇九七万七、二九七円を、同第二年度にあっては、二、二六四万三、七二七円を超えるものではなく、従って、被告会社のほ脱法人税額は第一年度については七三四万二、〇〇〇円、第二年度については七九二万五、四〇〇円を超えるものではなかったのにも拘らず、原判決が、これと異なり、被告会社が、第一年度において二、三〇一万八、八〇〇円、同第二年度において二、一一三万五、八〇〇円の法人税を免れた旨認定したのは、採証法則を誤り、事実を誤認したものであるというにあり、原判決が、被告会社の右各事業年度における法人所得を算定するためにいわゆる財産増減法を採用した措置及び同法則に基づく被告会社の法人所得計算の不当性並びに弁護人の側からする前記被告会社の本件各事業年度における法人税ほ脱税額算出の根拠について詳細にわたって言及する。

しかしながら、原判決が、その挙示する関係証拠により、いわゆる財産増減法により被告会社の本件各事業年度における所得金額を算定し、被告会社が第一年度において二、三〇一万八、八〇〇円、第二年度において二、一一三万五、八〇〇円の法人税をほ脱したと認定したことは相当であり、「被告人及び弁護人の主張に対する判断」の項において説示するところも、概ね、これを肯認し得るのであって、原判決には被告会社の本件各事業年度における法人税ほ脱金額認定について所論のような事実の誤認は存しないというべきである。以下、所論の指適する事項に対する当裁判所の判断を示すこととする。

(一)、所論は、まず、原判決が被告会社の本件各事業年度における所得算定の方法として採用した、いわゆる財産増減法については、その前提として、〈1〉前年度末の法人の純資産額が確実に把握され、隠匿財産が存在しなかったこと、〈2〉当該事業年度の純資産増加と見られるもののうち、例えば他人からの預り金、借人金等、外形だけの増加に過ぎないものが混入していないこと、の各確認が必要であるが、原判決はこの点について事実の誤認があると主張する。

(1)、所論は、被告人内山千代蔵(以下被告人という。)及びその亡妻キヨ夫婦は、従前から個人として営んでいたパチンコ店の法人化を計画して、昭和三八年六月一五日に被告会社を設立したが、その際、個人とて一億円の現金を保有していたので、被告会社における本件各事業年度における貸付信託受益証券等の大幅な増加は、右現金を逐次右各証券に換えていったものであることを指適する(控訴趣意書第一点一、(一)、三、)。そして、原判決が右現金の持込みを否定する理由として、「被告人および弁護人の主張に対する判断」の項5で説示するところは、いずれも合理性を欠く旨主張し、次のように反論する。すなわち、〈1〉内山キヨが国税査察官の質問に対し当初一億円の現金の存在を述べなかったのは、これが法認されていなかった景品買い等によって得た利益であったため、これを極力秘匿していたためである、〈2〉内山キヨの現金一億円の保管場所についての供述の変遷も、右現金の一部について保管場所を地下室から貸金庫に移した事情があったからであって、首尾一貫しないと即断できないし、現金運搬方法についての具体的供述がないのは、大蔵事務官が質問てん末書に記載しなかったためである、〈3〉被告会社がパチンコ店であることから、その売上金の金種を千円札か百円硬貨であるとし、被告人らが秘匿した現金一億円の金種も右と同様なものであると推認するのは不合理である、〈4〉昭和四二年一二月に新潟駅前の同業者が国税局の査察を受けた際、被告人らが自社の隠し財産を貸付信託受益証券で東京の銀行に移した点は、現金で一億円を保有していたことと矛盾しない、〈5〉商才にたけた被告人らが一億円もの高額の金員を現金で持ち続けたのは、元金の秘匿を維持する目的からであって、何ら不自然ではない、〈6〉被告人らが昭和三八年に内山ビルを建設するに際して秘匿現金を理用しなかったのは、税務当局にその出所を追求される危険をさけるためであって不自然ではないというのである。

なるほど、被告人は、大蔵事務官に対する昭和四四年六月二四日付質問てん末書(以下大蔵事務官に対する質問てん末書については質問てん末書と略称する)において、昭和三八年六月、被告会社を設立した当時、従前からの個人によるパチンコ店経営、特に、景品買いによる交換益(会社設立前は剃刀の刃一個一〇〇円について、二〇円の割合による交換差益)を蓄積保有した現金が、一億円位あった旨弁明し、以後大蔵事務官に対する質問てん末書において、被告会社設立当時、被告人ら夫婦個人に帰属する一億円の現金が存在したことを一貫して主張し、昭和四四年六月二七日付質問てん末書中において、右現金は、安田信託銀行新潟支店の貸金庫(主に偽名である佐藤信義名義のもの)中に一万円札で保管していた旨弁明をする。一方妻キヨも被告人が右弁明を開始した昭和四四年六月二四日の二日後である六月二六日付質問て末書中において、被告会社設立当時、被告人ら個人に帰属する一億円の現金が右安田信託銀行新潟支店の貸金庫中にあった旨供述するに至った。そして、内山キヨは、原審第一四回公判期日において、一億円の現金につき、これを被告会社設立時まで死蔵させていたのは、景品買いの利益であるため、いつ取締を受けて営業停止になるかわからないので、公表できなかったからであり、右現金は一斗罐、菓子箱、ダンボールなどに詰めて沼垂店の地下室にしまって保管していたが、昭和三七年に現在の駅前店の工事にかかるとき、数えてみたら全部で一億円位あったので、一度に預金すると警察に見つかって営業停止になるのがこわかったため、小刻みに預金した旨供述し、さらに、原審第一五回公判期日においては、現金一億円については、沼垂店の地下室にいくら、手持現金はいくらというように確認した旨所論にそう供述をしている。

しかしながら、被告人は、この点について、昭和四四年六月二七日付質問てん末書中においては、会社設立時に現金を数えたわけでない旨、又、会社設立後の各年度末における各時点の現金保有高については全く覚えがない旨供述している。一方、北谷欽一の検察官に対する昭和四五年七月一五日付、同月一六日付各供述調書によれば、被告人が現金を保管するのに利用したという安田信託銀行の被告人名義の二つの貸金庫の大きさは、深さ一一センチメートル、幅二七センチメートル、奥行五三センチメートルであり、佐藤信義名義のそれは、深さが一七センチメートル、(幅、奥行は被告人名義のそれと同一)のものであり、右貸金庫中には、被告人が従前より買入れた多量の貸付信託受益証券等も保管されていたことが認められる。してみると、はたして、右貸金庫に一億円の現金が、仮に所論のごとく高額紙幣であったとしても、収納できるか否か疑問であるのみならず、昭和三七年八月以後昭和四一年六月ころまで安田信託銀行新潟支店に勤務していた志賀利雄は、検察官に対する昭和四五年七月八日付供述調書中で、昭和三八年六月から、営業担当代理として被告人の同銀行に対する預金を取扱うようになり、被告人が同銀行新潟支店貸金庫を開閉するのを見た際、貸付信託受益証券があったのはみているが、その他に札束等が入っているのは目に入らなかった旨供述しており、また、内山キヨは、本件捜査が開始された当初である昭和四四年三月二九日付質問てん末書中では、被告会社設立当時の手持資金は五〇万円か多くて一〇〇万円であった旨供述しているのである。内山キヨの前記原審第一五回公判期日における現金一億円の存否に関する供述も、弁護人の質問に対しては明確にこれを肯定しながら、検察官の反対尋問に対しては、自分で確認したわけではない旨供述し、また、現金で保管した理由についても、一方では、前記のごとく景品買いの事実が警察当局に発覚するのがこわかったといいながら、他方では、昭和三八年ころから景品買いが黙認されるようになった旨右弁明と矛循する供述をし、又沼垂店の地下室、安田信託銀行の貸金庫、手持資金のそれぞれの金額については、その概数額すら供述していないのである。

また、被告人が、右被告会社設立時点において現金一億円を有した根拠として、同人がそれまで個人として営んでいたパチンコ店における景品買いによって、二〇パーセントの割合による交換差益があった旨弁明する点については、熊谷タケの検察事務官に対する供述調書、竹田節雄の質問てん末書、及び検察官に対する供述調書、酒井リツ子の検察官に対する供述調書、押収してある新潟市遊技場組合昭和三八年議事録(東京高裁昭和五〇年押第四九七号の四四)を総合すると、同店の景品交換差益率は、昭和三九年まで手数料を引くと八ないし九パーセントであったことが認められ、被告人が主張するような二〇パーセントという高率なものではなかったし、また、右竹田節雄の質問てん末書及び検察官に対する供述調書、大蔵事務官作成の昭和四四年一二月一六日付証明書添付の被告人経営にかかるパチンコ店の「昭和三七年分営業庶業実態調査書写」によると、昭和三七年度における同店の一か月間の景品交換数は約一万五、〇〇〇個位しかなく、同年の推定売上額も二、五〇七万九、一五六円程度であったことが認められる。してみると、弁護人らが原審において、主張しているように、被告人らが昭和二六年から昭和三九年までの間に一ケ月平均五万六〇〇〇個の景品交換数があり、年間約三億五三五万円の粗利益を得、一億七、八三七万円の景品交換差益を得ていたものとは到底考えられないのである。

以上説示したところを総合すると、被告人らが、被告会社を設立した時点において、約一億円の現金を保有していた旨供述するところは、にわかに措信することはできない。もっとも、原判決がこれを否定する理由として説示する中で、被告人らの営んでいた事業がパチンコ店であって、その取扱う金額は大部分が千円札か百円硬貨であることから、被告人らが保有していた現金一億円の金種もこれと同種のものと推定していることは、必ずしも合理的とはいえず、又同業者に対する国税局の査察を知った被告人らが、新潟市内の銀行から東京の銀行等に預金を移し、貸付信託受益証券を買い替えたことと、それとは別に現金を保有していたこととは必ずしも矛盾するとはいえず、さらに被告人らがビル建設に際して手持現金を利用しなかったからといって、それが不自然であると決めつけるには躊躇せざるを得ないのである。しかしながら、安田信託銀行新潟支店次長北谷欽一作成の昭和四五年四月二五日付、同支店長村田方人作成の同年八月一四日付各答申書によれば、被告人らが昭和二九年一二月三〇日以降多数回にわたって、貸付信託受益証券を購入し、或は増加させた状況が窺えるところ、被告人は、現金一億円を被告会社設立当時保有していた旨査察官に対して申述するに至った後現在に至るまで、右貸付信託受益証券の購入或は増加に際し、右現金のまま保管していた金員のうち、どの程度の割合の金員をこれにあてていたのかについて、何ら具体的、かつ合理的な説明をしないことや、前記のように、所論において、被告会社における本件各事業年度における被告会社の所得各約二、〇〇〇万円を限度に、これを超える貸付信託受益証券を中心とする預金等の増加分は、いわゆる過年度資産の持込みによるものであるとの主張の根拠として指摘する昭和二六年以後の景品交換差益の存在が、前記のように認められない点に照らすと、原判決が「被告人および弁護人の主張に対する判断」の項5で説示するところは、前判示の各点については、必ずしも是認できないけれども、結局、原判決が現金一億円の持込資産の存在を否定したことは、肯定することができるのである。

(2)、所論は、また、被告人らの個人資産が被告会社の本件各事業年度における増加資産に混入している根拠として、国税査察官作成の「景品率による売上脱漏額調査表」により、右売上脱漏額と、被告会社及び被告人個人を含む簿外預金等の増加状況とを対比し、昭和四〇年七月以後昭和四一年六月三〇日までの間においては一、三〇〇万円以上、同年七月一日以降昭和四二年六月三〇日までの間においては二〇〇万円以上簿外預金発生額の方が多い点を指適する(控訴趣意書第一点の二)。

なるほど、国税査察官作成の右調査表によれば、起訴対象外である昭和四〇年七月から昭和四一年六月期における被告会社の簿外預金等発生額は五、五二〇万円であるのに対し、同期の脱漏売上金額は四、三〇四万二、四九〇円であって、前者の方が一、二一五万七、五一〇円多く、起訴第一年度における簿外預金発生額は六、四三〇万円であるのに対し、脱漏売上金額は六、二一二万一、七九二円であって、前者の方が二一七万八、二〇八円多いことは所論のとおりである。(もっとも、起訴第二年度に至ると、簿外預金発生額は六、四五〇万円であるのに対し、脱漏売上金額は六、六五九万七、九四三円であって、むしろ、脱漏売上金額が二〇九万七、九四三円多くなっている)。

しかしながら、本件はいわゆる財産増減法によって被告会社の所得金額を算出しているのであって、脱漏売上金額を新潟会館における景品交換率によって推計(この推計の合理性については後に検討する。)したのは、その正確性を確認するための検討に過ぎないのであるから、右脱漏売上金額と簿外預金発生額とが一致するものでないことはやむ得ないところであるばかりか、原判決が被告会社における右簿外預金の増加額をそのまま本件各起訴年度における被告会社の所得としたものではないことは、原判決が、その「被告人および弁護人の主張に対する判断」の項7で説示しているように、本件各事業年度における増加資産のうちから被告人個人の資産の増加分とみなされたものを控除していくことから明らかである。

以上によれば、本件各事業年度における被告会社の簿外預金発生額と国税査察官の試算した脱漏売上金額の比較自体から、被告会社の原判示資産増加額の認定が不当であるとの結論をひきだすことはできないというべきである。

(二)、所論は、また、原判決は、財産増減法により被告会社の本件各事業年度における所得を算出し、その正確性の裏付けとして、損益計算法により国税査察官が算定した被告会社の所得試算の結果を合理的なものとして是認しているが、右試算の方法が不当である旨主張する。そして、その根拠として、〈1〉右国税査察官が被告会社の本件各事業年度における所得試算の基礎となるべき売上額を確定するのに利用した新潟会館における景品交換率は、南凡夫が新潟会館の経営者朴万圭に対し、売上及び粗利益率の高いことを誇示する目的で作成されたメモによるものであって信用できない、〈2〉仮に右南凡夫作成のメモが正確であったとしても、それによって被告会社の売上高を推定するのであれば、機械一台当りの売上高を用いて換算すべきであり、新潟会館と被告会社の店舗とは、その営業方針を異にするのであって、他店の景品交換率をそのまま被告会社の交換率とすることは不合理であることを指適する。そして、所論は、被告会社においては、本件についての国税局の査察が開始された日以降、竹津勇が売上額及び景品交換金額に関するメモを作成しており、右竹津メモ(東京高裁昭和五〇年押第四九七号の三五)は、査察官がパチンコ玉売機の自動計量メーター及び景品交換に差出された玉の個数の自動計量メーターの鍵の全部を自ら保管したうえで、右各メーターを調べて玉の個数を記録していたもので、そこに被告会社の作為が加えられたことはなかったし、パチンコ台の釘の調節も釘師が毎日玉売機のメーターと景品交換にまわる玉の個数を見て勘で行っているもので、一挙に景品交換率を七〇パーセント前後(新潟会館における平均交換率)から八五パーセント(被告会社の査察時の平均交換率)に上げることは不可能であり、また被告会社が本件査察開始と同時に、かかる工作を加えた事実もないので、被告会社における査察開始後の景品交換率は、本件各事業年度における景品交換率と同程度であった。従って、被告会社の景品交換率は、右竹津メモによるのが合理的であって、これに基づき、被告会社における本件各事業年度における売上額につき、同社の昭和四四年三月以降六月までの平均交換率に一部修正を加えた八二パーセントの景品交換率を基礎として、被告会社における売上総額の推計計算を試みると、起訴第一年度は二億七、〇一七万一、八八七円、同第二年度は三億一六〇万四、八六七円となるとし、これをもとに被告会社の脱漏所得金額、ほ脱法人税額が冒頭掲記の額となる旨主張する(控訴趣意書第一点一、同補充書)。

そこで検討してみるのに、南凡夫の質問てん末書及び検察官に対する供述調書(いずれも謄本)によれば、南凡夫は、昭和三七年一〇月ころより、前記パチンコ店新潟会館に釘師として勤務するようになり、パチンコの機械の調整、玉の管理統轄をしていたものであるが、従業員の指導、機械及び玉の管理をしている立場上、店の営業成績の実態を把握する必要があったことから、昭和三七年一一月以後の売上関係のメモをもとに、毎月の売上高及び景品交換高を継続して記録していたものであり、しかも、営業の実態が第三者にわからぬよう右メモの記載には符牒を用いていたのであって、ことさら、営業成績を誇張しようとして記載していたものではないことが認められる。なるほど、朴圭作成の「売上高を(有)ニューヒノマルの機械台数及び営業日数に換算した場合の売上金額」と題する書面(乙二六号証)には、新潟会館における機械一台当りの一日の売上金額をもとに被告会社の年間売上高を換算すると、昭和四〇年七月から昭和四一年六月期については二億二、〇五八万一、五〇〇円、本件起訴第一年度については二億七、三八七万円、同第二年度については二億七、四六〇万五〇〇円と記載されており、これと各年度の公表売上金額との差額は、昭和四〇年度については八五九万四二八二円、起訴第一年度については二四六七万五四一〇円、起訴第二年度については七〇三万三一六〇円となる。

しかしながら、内山キヨが原審第一五回公判期日において被告会社では月平均一五〇万円(年間一八〇〇万円)の売上除外をしていた旨供述しているところと対比してみただけでも、昭和四〇年度及び本件起訴第二年度における右機械一台当りの売上をもとに計算した売上除外金額は、極端に過少であり、これに照らしてみただけでも、右計算結果は不自然であって、新潟会館における機械一台の売上をもとに被告会社の売上を試算することも適切とはいえない。

また、なるほど、同業とはいえ、経営者を異にし、営業方針が同一であるとはいえない他店における景品交換率の調査結果をそのまま被告会社における景品交換率とすることは望ましいものでないことは、所論の指摘するとおりであり、また、証人竹津勇は、原審第一一回公判期日において、右竹津メモが本件査察が開始されて以来約三ケ月にわたって、査察官の指示の下に作成されたものである旨所論にそう供述しており、右竹津の供述によれば、右竹津メモは被告会社における本件査察開始後のパチンコ玉の売上額及び景品交換に廻った玉の個数をそのまま表示しているものと認められる。

しかしながら、右記載が正しいものであっても、右両者の玉の個数の比較によって算出される景品交換率が、そのまま直ちに本件起訴対象年度における被告会社の景品交換率と同一であったということにはならない。すなわち、景品交換率は、釘師の勘に基づく毎日の釘の操作一つで変動するのである。たしかに、竹津は、前記公判期日において、査察の前後で釘の操作をことさら変更したことはない旨供述している。しかし、前記のように、被告人らが被告会社設立の時点において一億円にのぼる現金を保有していたことは認められないことは前記のとおりであるが、これをさて措いてみても、北谷欽一及び村田方人作成の各答申書、押収してある貸金庫開扉票(東京高裁昭和五〇年押第四九七号の三三)を対比検討すると、被告人が安田信託銀行新潟支店に開設していた貸金庫を開扉していない日に、被告人が購入した貸付信託取得額は、昭和四〇年六月一八日から昭和四二年一〇月五日までの間で二七〇〇万円であり、又その間、その各取得の直前取得日から右貸金庫を開扉しないで貸付信託を購入した日までの経過日数は、一二五日であることが認められる。従って、右経過日数のうちの一日当りの平均購入金額は、約二二万円にのぼり、これを一か月に換算すると、六〇〇万円を超える結果となることが窺われる。これをそのままその間に売上除外した金額としてみると、所論において試算する被告会社の売上除外金額をはるかに上まわることが明らかである。してみると、竹津勇の釘の操作を査察の前後でことさら変更したことがない旨の前記供述は、直ちに信用することができない。しかも、被告会社においては、本件起訴年度の売上額を直接明確にする資料がないのであるから、右竹津メモによる被告会社の景品交換率を基礎に、その売上額を算定することは相当ではない。そうだとすると、事業規模、立地条件等において類似する同業の新潟会館における景品交換率に基づいて、被告会社の売上高をいわゆる損益計算法によって試算し、その結果をいわゆる財産増減法による被告会社の所得の正当性の裏付けとした原判決はあながち不合理なものということはできない。

(三)  以上によれば、原判決が、いわゆる財産増減法により被告会社の本件起訴年度における所得を算定し、これに基づき、被告会社が起訴第一年度において二三〇一万八八〇〇円の、同第二年度において二一一三万五八〇〇円の法人税をほ脱した旨認定したことは相当であって、所論のような事実の誤認は存しない。論旨は理由がない。

二、控訴趣意第二点(量刑不当の論旨)について

所論は、要するに、被告会社を罰金一五〇〇万円に、被告人を懲役一〇月、執行猶予二年に処した原判決の量刑は、重きに過ぎ不当である、というのである。

そこで、検討してみるのに、本件は、被告会社の代表取締役であった被告人が、被告会社の業務に関し、同社の法人税を免れようと企て、亡妻キヨと共謀して、将来の企業の安定を考慮して売上の一部を除外し、偽名の貸付信託受益証券を購入するなどの方法で所得を穏蔽して、昭和四一年七月一日から昭和四三年六月三〇日までの二事業年度において、合計四四一五万四六〇〇円の法人税をほ脱した事案であって、その犯行の態様、罪質等諸般の情状、特に、所得穏蔽の方法が巧妙であること、すなわち、発覚しやすい仕入や経費に一切手をつけず、もっぱら、証拠を残さず発覚しにくい不特定多数の顧客からの売上についてだけを対象とし、しかも、偽名を用いて貸付信託受益証券を購入し、昭和四二年一二月に同業者である新潟会館が国税当局により査察を受けたことを知るや、新潟市内の取引銀行から東京都内の銀行等へその預金や貸付信託受益証券を移しかえ、あるいは、東京で右証券等を購入するなどしていたものであること、右二年間のほ脱法人税額が多額であることなどを考慮すると、被告会社及び被告人の刑責は重大であるといわなければならない。もっとも、被告人らは、本件発覚後重加算税等を完納していること、被告会社の経理及び税務申告を公正に改めていることや被告人の健康状態等被告人らにとって有利な、又は同情すべき事情も認められる。しかしながら、被告人らの刑責が前記のように重大であることに照らすと、右被告人らにとって有利な諸事情を十分斟酌しても、原判決の被告人らに対する量刑が、あえて破棄しなければならないほど重きに過ぎるものとは認められない。論旨は理由がない。

三、結論

以上によれば本件各控訴は、いずれも理由がないから、刑訴法三九六条により、これを棄却することとして、主文のとおり判決する。

(裁判長裁判官 堀江一夫 裁判官 森樹 裁判官 中野久利)

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